「日」喜一憂。

そんな感じで。

努力を笑うやつは努力に泣かされろ。

集団行動が割と苦手な奈良盆地代表、こにまおです。おばんどす。

うん、ワルイクセなのは分かってる。分かってるから言うんじゃねえ。

 

何となく伝わるかもしれませんがパソコン使えるようになりました(肉体的に)。
決して機械オンチじゃないんだ……決して……!!
(この日記を元いた会社の同期に読まれたら笑われるレベル)
(未だにWindowsを理解していないぜ)(Macもだけどな!)

 

唐突ではありますが、ワタクシ努力が苦手です。

苦手だけど、必要な努力はするように心がけているし、努力を笑ったことは一度もありません、と胸を張って言える生き方はしてきました(「つもり」なんてコトバもつけないぞ)。
努力できる人には声援を送り、その姿を目に焼き付けては自分を戒めるような。

 

だからね、努力を笑うような行動をとっている人を見ると悲しくなります。

実際に笑うんじゃなくて、例えばですけど。

 

集団で何かをやろうとなりました。

毎週末に練習をしようと決めました。

集団は強制参加ではなく希望制なので、毎週末以外の練習は各自の判断に委ねられています。

しかし参加すると手をあげたのに練習に来ないひとがいます(笑うひとその1)。

その何かが苦手なひとがいます。克服しようと努力するひとがいます。

しかし苦手なまま放置しているひともいます(笑うひとその2)。

 

見ているひとには伝わります。その姿勢が、その心構えが。

指先から、表情から、佇まいから。

苦手でも一所懸命努力するひととの差は歴然です。

その横で「できない」と当たり前のように笑うひとがいる。

努力するひとたちは、どう思うでしょうか?

 

アンサーは人それぞれにあると思います。

だけど。

同じ志を持って集まった仲間なら、最後まで志は突き通して欲しいと願うのです。

でなくちゃ集団行動の意味って、ない。

 

苦手でもいいから、挙げたその手をまっすぐ伸ばしていて欲しい。

 

そこで初めて「仲間」として成立するんじゃないかな、と思います。

 

 

下手だよ。でも頑張るよ。

だからさ、努力を笑うやつは、努力に泣かされちまえよ。

もしくは黙っていてくれないか? いろいろと邪魔だからさ。