今病気のきみと、過去病気だった君と、未来病気になるかもしれないキミへ。
今日はちょっと真面目なことを書きますよ。
あ、ご無沙汰してます。私は憂鬱です。毎年この時期から8月終わりまでこんな感じだからおk。
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私は病気です。
国の認定受けてる病気とそれ以外にも病名だけで10個くらいあります。
なんの病気かなんて割とどうでもよくて(この日記において)、過去の私は虚弱体質ではありましたが病気とは無縁だった、まずこれを書いておきたいのです。
もちろんその時には自分が現在の病気になるなんて思ってもみませんでしたし、発症したであろう中学生の頃は病名すら知らないし(認定を受けたのは21歳)、病名聞いても
「知らん……聞いたことないわ(汗)」
という無知っぷり。
何が嫌だったかって、虚弱体質だからあんまり元気じゃない(すぐ風邪ひいたりする)のかな、こんなにも胃が痛かったり喉まで胃酸が逆流したりしてご飯たべられないのかな、と自分の「身体」について恨んだりしていたのです。
それが「自分のせいではなく病気のせい」だと知って、当時の私はなぜかホッとしました。
とにかく自虐的で――そう思うようになったキッカケはハッキリとしています。環境は人間をここまで変えてしまうか、というくらい変えてしまう出来事がございましたというか現在進行形かもね――「ごめんなさい」が口癖だった私は、もう謝らなくていいのか、と解放された気持ちになれたのです。
でもね、近くの身内よりも遠くの他人です。
血縁関係のないひとたちの方が理解「しようとしてくれる」んです(断言しておきます、100%の理解なんて絶対無理。求めちゃいかんし、期待しちゃいかん。その状況に寄り添う気持ちに感謝しています)。親、特に父親の口癖はこうでした。
「なんで俺の子供なのに○○なんや」
「なんでもかんでも病気のせいやと思うな」
「お前は病気なんかじゃない」
「あの医者は信用できない」
医者の資格もないアナタがなぜわかる(汗)。
あと殴りながら言っても説得力ないからね(汗)。
もちろん迷惑をかけたり苦労かけたり(ing形)していますけど、アナタにだけは言われたくないです。
そして「もしかして私と父は水と油なんじゃないか」と思ったのです。
結果としてビンゴだったのですが(とある検査結果、主治医が頭抱えるレベルで私が一番言われたくないコトバをチョイスする有様でしたとさ)、そりゃあ性質が違えばまじり合うことなんて無理だわなあ……と(多少無理やりですけど)納得したのです。
本当は父に理解して欲しかったのだと思います。多分今も心のどこかにある気持ちです。
でもね、無理だわ。これに気づくまで数十年かかってしまいましたが、無理だわ。
どれだけ誰かが撹拌してくれても私が撹拌しても、所詮分離する、水と油。
◆
その逆に治った病気もあります。数は少ないけれど検査と治療をがんばった結果です。
「うおー治ってよかったけどもう二度と経験したくないわー」と経験したからこそ思えるのであって、経験してなかったら言えないコトバであります。
誰だって、経験しなきゃ痛みも辛さも喜びもわからないものです。当たり前ですが。
それをね、本人じゃない誰かが笑ったり責めたり、ましてや理解なんて、ってハナシですよ。経験数でしか語れない。
同じ風邪でも鼻水が出る人と喉が痛くなる人と熱にうかされる人と(以下略)いるじゃないですか。でも症状が似てても感じ方は本当に別で、微熱がしんどくて39度なら歩ける私がいれば、微熱なら平気で39度ならもう無理と寝込む家族の違いです(極論ですけど)。
過去になんらかのつらい経験をした人は、強いです。どんどん強くなります。
これを私は「鈍感力」と言っています(言い古された表現であることは自覚しておる)。私はこれを鍛えています。その分、大事な場面で――たとえば、あなたやアナタがつらい時――気づけるように。
今、つらい経験をしている人は、何かを失ったとしても、この経験はきっと未来で味方になってくれます。多分(無責任な言い方かもしれませんが、少なくとも私はそう思っています。実際無駄になってないし活きてる)。
そして、未来。誰にも分からん\(^o^)/
だからこそ、将来なってしまうかもしれない事象や病気に難癖つけたりしないよう(万が一思っても、心に留めて欲しい)願っています。
病気だけじゃない、学歴でも職業でも身分でも男でも女でもぜーんぶそう。
そういう心のまずしい人たちには、心の中であっかんべーしてやりましょう。
私?
私は想像の中で相手をフルボッコしていますよ\(^o^)/
以上、「時間が解決してくれる」論が世界で一番大キライな人間の戯言でした。
ジカンガカイケツスルナライシャイラネー